鬼滅の刃 拆石神社
宮城県柴田郡柴田町大字葉坂字宮前50に位置する拆石神社。
由緒 往昔、宮下宅と呼ぶ地の後山に在り拆石神社鎮守明神といった。平城帝大同2年6月14日比神後山の社地を去り飛揚倐忽其の有る所の巨石を裂きてこれを中分し石中に寓す。石形並立して屏風のようであった。かく石巌を折いて入り給ひしを以て郷人これより破山明神といった。又平城帝の御宇、坂上田村将軍俊仁公東夷征伐の砌り、この神を勧請し武運長久を祈願したともいい、又古老日う。日本武尊東征の折、磐坂皇子を祀ったとも伝えている。村名元磐坂(後、破坂、葉坂)と称したともこれによるという。明治の初め現社号に改められ、同6年6月村社格加列、大正3年12月供進指定神社となる。 宮城県神社庁より。
坂上田村将軍と日本武尊に関係あると主張しているのでしょう。この山道へ京から遠征してきたんでしょうか。欲望は切りがない。
平城帝大同2年とは807年なので、坂上田村が蝦夷の英雄阿弖流為をとらえたのが、延暦21年802年4月15日だとすると、少々ずれが有るようですが。
拆石というよりは、岩山に岩がゴゴゴロという感じの場所ですね。神社本殿裏側の巨石群。鬼滅の刃の竈門炭治郎が刀で真っ二つに切ったあの「岩」はいずこ。 拆石神社というネーミングはピッタリなんですが。