諏訪神社総代会
名取市愛島北目字石沢にある諏訪神社の総代会に出席。神社の中に入ったのは久しぶりです。
宮城県神社庁によると、本社は鎮座の年代を詳にしないが、往古此の地鹿猪の為常に農作物を害されることを憂い邑民相会し丹誠を諏訪の神に致す。其験著しく最早其の被害がなくなったことを感謝し、信濃国諏訪の神を勧請奉斎したといわれる。或は又、源頼義父子安倍一族を征せんとした時大神を深く崇敬し遂に勝利を得たのは殊の外当社を尊信したとも伝えられる。明治5年1月村社列格、大正3年12月供進社に指定された。と。
なとり百選によると、元亀の変の恩賞に亘理元宗・重宗父子が、名取郡の内笠島村と小川村を伊達藩主・輝宗より拝領し、配下の者を移住させて現地を管理させました。この時、亘理の小山鹿島神社神主・高橋氏の一族を、北目部落の諏訪神社神主として移住させました。端正なたたずまいを見せる諏訪神社は、信仰を集めて心の拠りどころとなってきました。と。
宮城県神社庁の記述の源頼義というと、平安中期前九年の役(1051年から)の頃にはすでにあったことになります。なとり百選の記述は、これよりずっと後の時代の出来事を述べているのみでしょうか。源氏の話のほうが面白みがありますし同年代には神社がたくさんありました。
本堂には桂川 質郎、本名は檀崎 質郎(大相撲力士)の写真があります。現役時代の体格は身長170cm、体重88kg。得意手は右四つ、突っ張り、吊り。最高位は、西前頭筆頭(1937年(昭和12年)1月場所)。とのこと。郷土出身の力士で小さいのによく頑張ったものです。