福寿院 由来
宮城県名取市愛島北目字清水32
曹洞宗 永正五年(1508)長禄寺六世大華笑意の開山
資料1 宮城県寺院総覧編纂会編『宮城県寺院大総覧』宮城県寺院総覧編纂会, 1975【K185/ミ1】
p.463「福寿院」の項
「須賀川(福島県)は当時二階堂為氏の領地であったが,為氏は鎌倉でしばしば月叟(月窓とも書く)和尚に対面し法話をきいて信受し,長祿二年(1457-60)月叟を招いて長祿寺を開山し,千石の領地を寄附したという。以来長祿寺の僧は下野・陸奥に布教して末寺百三十余を開き,月叟一派の本山として盛大であったが,二階堂氏没落後は百石の寺領を領するに過ぎなかった。」
資料2 宮城県史編纂委員会編『宮城県史 12』宮城県史刊行会, 1961【K201/ミ1/12】
p.403「須賀川長禄寺系」の項
「名取郡北目(名取市)福寿院も長禄寺末で,永正五年(1508)長禄寺六世大華笑意の開山である。かつ福寿院には同邑に元禄元年八月開山された松林寺という寺もあつたが今はない。」
資料3 田辺希文編『封内風土記 第1巻』宝文堂出版, 1975【K290.1/ホ1/1】
pp.271-272「北目邑。(中略)寺凡二。開川山福寿院。曹洞宗。本州須賀川。長禄寺末寺。傳云。後柏原帝。永正五年四月開山。僧名不傳。益葉山松林寺。曹洞宗。本邑福寿院末寺。傳云。東山帝。元祿元年八月開山。僧名不傳。」
戦国時代に名取市の福寿院で行なわれていた,二階堂氏の供養祭についての資料を探している。 | レファレンス協同データベース (ndl.go.jp)