旧民法 母の戸籍 子の戸籍
仙台市役所時代のころから、不動産登記の中で相続登記はメイン業務で、、相続人が数十人となる場面に何度も遭遇しました。明治時代の家督相続ならいいのですが、明治時代の遺産相続となると相続人確定に時間と労力を要します。縦の相続だけでなく横の相続も多数でてきます。
ところで、母の戸籍から子の戸籍が判明しない場合があることに今回遭遇しました。
旧民法
第八百二十七条 私生子(後に嫡出に非ざる子に改正)ハ其父又ハ母ニ於テ之ヲ認知スルコトヲ得
父カ認知シタル私生子ハ之ヲ庶子トス
この規定をみるとわかりますが、私生子のうち父が認知した場合に、父との関係でその子を庶子と称していました。
この結果、私生子とは、嫡出でない子が生母に対して有する身分であり、原則として、母の氏を称し母の家に入りました。(旧民法733条2項)
母の戸籍にはいるなら、子が判明するのですが、嫡出でない子の戸籍には母の本籍及び氏名が記載されますが、母の戸籍にはその嫡出でない子を出産した事実が記載されないこととしていたようです。
旧民法
第七百三十五条 家族ノ庶子及ヒ私生子ハ戸主ノ同意アルニ非サレハ其家ニ入ルコトヲ得ス
庶子カ父ノ家ニ入ルコトヲ得サルトキハ母ノ家ニ入ル
私生子カ母ノ家ニ入ルコトヲ得サルトキハ一家ヲ創立ス
上記の規定等から、母の戸籍から子の戸籍に繋がらない場合があります。つまり、相続登記の際相続人である子を除いて遺産分割協議とか行われる場合があるということでしょうか。
今回の事例では、結局子の父と婚姻するに至ったので相続人はすべて判明しました。