岩沼市金蛇水神社
宮城県名取市で司法書士事務所を開業していますが、その名取市の隣町岩沼市には有名な神社が2つあります。一つは竹駒神社で、もう一つが今回訪れた金蛇水神社です。カナヘビスイジンジャと読むようです。初めてわかりました。関心を持ってみないと全く頭に入らないですね。
以下金蛇水神社のホームページより。
創始年代不詳。人々がこの地に住み農耕をはじめた時に、山より平野へ水の流れ出るこの場所に水神をおまつりしたものと思われる。
社名については、次のようにつたえられている。
平安時代中頃一条天皇の御代、京都三条の小鍛冶宗近は、永祚元年(989年)天皇の御佩刀を鍛えよとの勅命を受け名水を求めて諸国を遍歴してこの地に至り、水神宮のほとりを流れる水の清らかさに心をうたれた。
早速、水神宮に祈願をし、炉を構えて刀を鍛え始めたが、カエルの鳴き声で精神統一ができず、よい刀が打てずにいた。そこで宗近は巳のお姿(金蛇)をつくり、田に放ったところカエルはピタリと鳴き止んだ。無事素晴らしい刀を鍛え上げることができた宗近は神への感謝のために巳のお姿を献納し都に帰った。
以来、水神宮ではこれを御神体と崇め、社名も金蛇水神社と称するようになったと言う。
カエルがうるさいとはなるほどと思います。今はあまりいませんが、以前はカエルの鳴き声はすごいものでした。市街化や農薬等によりカエルは大分減りましたが。
ところで、中将藤原実方朝臣は陸奥国に赴任して数年後の長徳4年(998年)、陸奥守としての4年の任期が終わり京に帰還する寸前で、赴任先で不慮の死を遂げることとなります。まさにあの時の天皇一条天皇です。
小鍛冶宗近と中将藤原実方朝臣は会っていたかもしれませんね。中将藤原実方朝臣が亡くなられた場所と金蛇水神社の距離は5キロ位ですし。同時期同じ京からの派遣でもあります。