岩手県平泉町達谷窟毘沙門堂2
前回蝦夷の英雄「阿弖流為」が、達谷窟において坂上田村麿に打ち取られた悪路王ではないか、と書きました。古代蝦夷に英雄、首長が、近接して、しかも、同時期に何人もいるとは考えにくいからでもあります。悪路王は被征服者の代表、象徴とでもいいましょうか。名前からして変ですしね。
枚方市牧野阪2丁目 牧野公園内に、「阿弖流為」の首塚であると伝えられているものがありますが、はっきりしないようです。
そこで、関西胆江同郷会、アテルイを顕彰する会、関西岩手県人会、京都岩手県人会(岩手県の有志の方)が、平成6年(1994)11月6日に京都の清水寺南苑に慰霊碑を建立しました。毎年11月の第2土曜日に碑の前で顕彰と慰霊供養の法要が執り行われています。
ところで、まだ当職が仙台市役所において東日本大震災の復興事業を担っていた時のことです。京都市の職員の方が復興支援で、仙台市に応援に来ていましたが、追って京都市長の門川大作市長も来仙しました。
どういうわけか、来仙した時門川大作市長とお話ししているうちに、「阿弖流為」の扱いはひどいんではないかと指摘してしまいました。清水寺に慰霊碑しかないと。応援に来たのに関係ない話ではあるので、腹がたったとは思いますが、苦笑いしていました。初めてお会いし、しかも復興支援に来たのにです。京都市長の門川大作市長様、この場をかりお詫び申し上げます。
やはり、京側に頼るのではなく自力で復権させることが重要なことでしょう。