宮城県柴田郡村田町 日本武尊を起源とする白鳥神社
蔵王町の仕事の帰りに立ち寄りました。大河原町に司法書士事務所があったときは美しい名前の神社だなとは思っていましたが、立ち寄りませんでした。その事務所を移転したところ、なんとなく引き寄せられました。蔵の町村田町の日本武尊を起源とする白鳥神社。
村田町.comより
● (第12代景行天皇の子として誕生した)日本武尊がこの地に陣を布き東国征伐をした。日本武尊の没後、父の景行天皇が亡き尊を偲んで、景行53年(123、実際の時代は4世紀ころのようです。)尊が布陣したこの地に大宮白鳥神社を建立したのが白鳥神社の起源とされる。
● 前九年の役の時に源頼義、義家(=八幡太郎)親子が、康平5年(1062年)正 月に陣太刀一振を白鳥神社に寄進したと伝えられる。その陣太刀は今はないが、義家の自筆と言われる寄進状が現在でも神社にある。寄進状には「陣太刀 壱振 為天下泰平寄進之状如件 康平五年正月二日 源義家花印 村田郷 白鳥鎮守」と書かれてある。
(この時の蛇藤伝説は有名)
中央政府は、この後、承暦2年(1076年)に、陸奥の国司に命じて社殿を始め、付属の建物を造営させたという。
● 文治5年(1189)に行われた「奥州合戦」では、源頼朝が戦勝祈願に訪れて白鳥神社に宝鏡と太刀を寄進している。
● 南北朝時代、陸奥守北畠顕家が後醍醐天皇から命じられて足利尊氏・直義兄弟の追討を命じられた時(1335年12月)、出征に先立ち村田の白鳥神社に奉幣し太刀を寄進して戦勝を祈ったと伝えられる。顕家の軍は破竹の勢いで南下してたちまち鎌倉を陥れ、出発してから20日で京都近郊に進出し、1336年2月、京都を回復し、尊氏の大軍を九州まで追い払った。
樹齢3000年と以前言っていたけやきの木もあります。
日本武尊だなんてやたら古い話ですね。飛鳥時代より前の時代の神話。
どうも東北の神社、寺をめぐると征服者の伝説にしかぶち当たらないですね。蝦夷の英雄は阿弖流為くらいですかね。