土に執着、自然回帰
以前、「親の死亡時よりなぜか苗木、野菜等を植えることに興味を持ち始めました。亡くなる前、親がやたら木を伐り始めた反動かもしれません。未だに木を伐ることに何故執着したかわかりませんが。死後の道連れ?木が大きくなりすぎ子孫の安全に懸念を抱いた?」という記事を書きました。
その後今まで、甘柿、栗、リンゴ、サクランボ、イチジク、柚、カボス、ブドウ、ブラックベリー、ブルーベリー、ラズベリー、トマト、ピーマン、シシトウ、アーモンド、桃、梨等植えてみました。すべて、販売できる代物ではなし。
収穫として、とりあえずブドウ、ブルーベリー、ラズベリー(写真)をゲット。
元々農家の出でしたが、農業は嫌いでした。田植えは集団で並んで手植え、田の草刈りは草刈り器具を田んぼの中で手押し、稲刈りは鎌と激務でした。水争い。キュウリの消毒はDDTを使いマスクをしながらも農薬だらけ。どういうわけかまっすぐなキュウリ。白菜は雪山から一家総出で耕運機で家まで運搬。ただ、当時現在の経済状況とは異なり今より未来は良くなるという確信がありました。高度成長ですね。
そんな嫌いだった農業でしたが、以上のように今では「土に執着」です。私の子供の頃の予想とは異なり、今の農業は機械化、大規模化され以前とは雲泥の差です。新しい試み、挑戦が繰り広げられています。
それにしても、自身が土に執着するとは考えてもみなかったことです。都会の人間がコンクリートに嫌気をさして、帰農等しているものと思っていました。盆栽、家庭菜園しかり。
どうも年齢を重ねていくと土に帰ってくるのは、死への旅支度なのではないかと思うようになりました。自然回帰とでも言ったらいいのか。出発点は終点といいましょうか。あっという間の中の途中経過。