名取市大塚山古墳 日露戦没従軍記念碑
名取大塚山古墳は、県内で4番目に大きい全長90m、後円部径60m・高さ8.5m、前方部の長さ30m・高さ2.3mの前方後円墳です。後円部は三段築成で埴輪(はにわ)や葺石(ふきいし)を伴い、前方部は後円部に比べて極端に低く小さくなっています。このような形の前方後円墳は、帆立貝(ほたてがい)式、または柄鏡(えかがみ)式古墳と呼ばれています。
造られた年代については、発掘調査が行われていないため明らかではありませんが、古墳の形や発見された埴輪などから推定すると、5世紀の中頃から後半にかけてと考えられます。
なお、この古墳の付近の丘陵一帯には、20基以上の古墳群(賽ノ窪(さいのくぼ)古墳群)があり、市内で最も古墳の多く分布する地域となっています。 ーーー名取ホームページ
名取市愛島笠島字北台にあります。名もない古墳、そこに今回の、日露戦没従軍記念碑があります。名取市愛島笠島に新たな公民館が4月1日開所するにあたり、日露戦没従軍記念碑のありかたが議論されました。新しい公民館敷地に、大塚山古墳からその日露戦没従軍記念碑を移そうというは話が持ち上がっています。名取市が移転するにあたり財政支出るするのは、写真の左部分のみで、地域住民建立の日露戦没従軍記念碑は自前での移転とのこと。いささか杓子定規な感じがしますが。その移転に要する経費をどうするかの議論が起きています。地域住民の寄付になりそうです。
戦争で死んだのに、その記念碑が倒れたままの放置状態では、浮かばれないですね。