原田甲斐の母の墓 陸奥国亘理郡
原田甲斐元和5年(1619年) 仙台藩着坐・原田家に原田宗資の長男として陸奥国柴田郡船岡城で生まれる。幼名は弁之助。初めは雅楽と称した。母は、元豊臣秀吉の側室で、のち伊達氏の家臣鬼庭綱元の室になった香の前の娘・津多だそうです。
不動産登記の関係で亘理町を通過したところ、その墓が亘理郡亘理町にあるのがわかりました。
原田甲斐は伊達騒動の主役でしょうが、母親の墓まで歴史に残るんですね。今度行ってみようかと思います。大分山奥にあるようです。
慶月院の墓として、公益社団法人日本観光振興協会のホムページに紹介があります。
「仙台藩のお家騒動である伊達騒動で仙台藩を危うくした大罪人とされた原田甲斐。その母親は亘理伊達家にお預けとなったが、息子の潔白を信じ断食して絶命した。罪人の母親ということで葬儀も行えず、大雄寺住職の隠居寺であった陽林庵の一画に埋葬され、墓碑の代わりに大きな石が置かれたと伝えられている。」
所在は宮城県亘理郡亘理町長瀞字夜討坂。怖い土地の名称ですね。
http://www.nihon-kankou.or.jp/miyagi/detail/04361af2170158306