伊達政宗の生涯
戦国時代に東北の雄として知らぬ者がいない伊達政宗。
乱世は戦場に軍配をふるい、平時は両国経営に勤しみ、仙台藩62万石のの基盤を創り上げた文武両道の群雄です。
彼の生涯とはいったいどのようなものだったのでしょうか。
幼少期
彼は1567年に出羽国の米沢城で誕生しました。幼名は梵天丸。
信長や秀吉などより30歳ほど差があり、一回り年下どころか、子供のような年齢です。
父は伊達家16代の伊達輝宗、母は山形の戦国大名最上義守の妹であり、双方が守護大名の血統を引く、典型的なサラブレッドと言えます。
彼は幼少期に天然痘にかかり、右目の視力を失います。そのことで自分の容姿にコンプレックスがあったという話が伝わっています。
また、母の義姫もその醜い容姿を毛嫌いし、政宗でなくその弟に家督を継がせようとする動きがあったともいわれています。
そうしたその幼少期を支えたのが虎哉宗乙という名僧であり、伊達政宗の教育係となった片倉小十郎でした。
上杉謙信の師は天室光育、武田信玄の師は快川紹喜、徳川家康の師匠は太原雪斎と、著名な大名には相応のメンターが着くように見えますね。