仙台向山高等学校等のPTA活動を通して
二男の小学校4年生のときからPTAの役員をやり始め、二男が高校を卒業するまでPTA活動をしていました。名取市内の小学校、中学校と仙台市内の高校でした。大凡10数年間になります。監事、副会長、会長という役職でした。宮城県高等学校PTA連合会副会長もやらせていただきました。
初めめは妻に背中を押されやり始めただけでしたが、やっているうちに面白くなり結局二男が高校を卒業するまで続けました。高校は今でもOB会に出ています。PTA活動をやる人の目的はそれぞれでしょう。自分の子供のため(基本的に誰にでもあるでしょう。)、自分の学校の子供たちのため、日本の子供たちのため等々。また、義務としてやってるという人もいるでしょう。役員のなり手をさがすのに苦労することからも推察されます。あまり自分の子供のためにのみ活動すればモンスターペアレントになりかねませんが、その人がそれに気付いているかは定かではないでしょう。
会長の時は「子供たちの明るい未来のために」という目的を自分なりに掲げていました。少子高齢化、人口減少、日本国内の市場規模の縮小を鑑みれば、子供たちの将来が気懸りになります。しかしながら、世界的な競争の中にいることをチャンスと捉えれば、違う視界が開けると考えます。