中将藤原実方朝臣の墓1 名取市の名所
名取市愛島塩手字北野に中将藤原実方朝臣の墓があります。私自身の自宅より北に4キロ位に位置し、県道仙台岩沼線沿いです。現在墓地は官有地とのこと。司法書士ですがまだ未調査。
名取市が少し観光地化はしてあります。仙台空港完全民営化元年、名取市の宝なのですが。
平安時代中期の人、中古三十六歌仙の一人中将藤原実方朝臣は、曾祖父に摂政関白忠平、祖父は左大臣・藤原師尹、父は侍従藤原定時、生母は左大臣源雅信の娘で、御堂関白道長の又従兄弟の間柄で藤原一門のなかでも由緒ある家柄に生まれ、風流と美貌を兼ね備えた貴公子である、と名取市設置の「中将実方朝臣について」に記載されています。和歌に関してはすぐれた才能があり、円融、花山両院の寵を一身に集めたとの記載も。
実方は正暦4年(993年)従四位上、正暦5年(994年)には左近衛中将に叙任。しかしながら、突然、995年陸奥守を命じられる(30半ばでしょうか)。上流貴族といわれる公卿目前でのようです。清少納言と交際関係があったとも伝えられています。『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人ともされています。
突然の地方出先機関への赴任にはいろいろな逸話が残っているようです。