木下藤吉郎
豊臣秀吉は戦国時代に一代でのし上がり、農民の出身から天下を取ったことで知られています。
彼は幼名を日吉丸、元服後の名前を木下藤吉郎と呼びます。ちなみにその後羽柴秀吉を名乗り、最終的に関白の官位を得るために朝廷にからんだ苗字である豊臣を名乗ることになります。
父は木下八右衛門であり、母はなかという人物だったとされています。
父の死後に母が再婚しますが、その養父との折り合いが悪く、放浪の暮らしを送ります。
彼は生涯で30回を超える転職したという話がありますが、木下藤吉郎と正式に名乗るに至ったのは
今川義元の家臣、松下之綱に仕えるにあたってでした。
有能な藤吉郎は之綱に目をかけられますが、同僚との軋轢からハラスメントを受け、ほどなく織田家に転職することになります。
ちなみに松下家は秀吉が天下をとった後、大名の身分まで取り立てられており、その時受けた恩義を秀吉がおそらくは忘れなかったのではないだろうかということが言われています。