藤原秀衡の栄華
平安時代末期に奥州(東北)の頂点に君臨した奥州藤原氏の三代目が藤原秀衡です。
朝廷や摂関家との関係も、当時最大の金山を保有し、陸奥国の豊富な物産可能を背景に献上品や貢物を絶やさなかったため、関係も良好でした。公称奥州17万騎と呼ばれる空前の兵数を蓄えられたことはその国力と繁栄の証です。
奥州藤原家3代が残した最も有名な遺構は、中尊寺金色堂です。
1124年初代の清衡公が上棟したもので、極楽浄土の有様を表現しようと往時の工芸技術が集約された御堂が知られております。
皆金色と称される金色堂の内面は、シルクロードから原料を輸入した螺鈿細工、象牙、宝石によって装飾されています。
仏像も大乗仏教による様々な像が配置され、黄金のまばゆい輝きを今もなお放っております。
4代にいたるまでの奥州藤原氏当主の亡骸すべては、クジャクのあしらわれた須弥壇に安置されております。
平安貴族の極楽浄土へ通じるための願いが生んだ仏教美術の興隆。
鎌倉時代の武力とリアリズムによる世界によってそれは姿を薄めていきますが、往年の美術品の絢爛たる輝きを鑑みるに、当時の貴族の痛切な浄土への思いを感じざるおえません。