樅ノ木は残った
船岡城址公園。伊達騒動(1671年)の主、原田甲斐は、この船岡城で生まれる。寛文事件後に原田家は責任を取らせられる形で、甲斐の子息4人は切腹、男孫の2人は斬首、妻と娘は他家お預けの処分になり、一家は断絶となった。伊達家はお咎め無しとされたそうです。
宮城県蔵王町の保昌寺によると、孫は甲斐の嫡男宗誠の長男采女(うねめ)と次男伊織(いおり)は、乳母が蔵王山麓の平沢にある高野家の家老の木村家の出身だったことから高野家に預けられたといい、2人は伊達騒動の年の6月9日に斬首となった。木村家では代々、墓を口外せず、当主と妻の2人だけで人に見られないよう供養を続けたという。まだ10歳にもならなかったのにね。全く暗い話である。河北新報より。
ところで、樅ノ木は二本あるように見えますが。どうでしょう。片方だけ尊重されて見えます。