蝦夷の英雄「阿弖流為」2 名取市 秀麗禅斎
名取市高舘吉田字上鹿野東に秀麓齋というお寺があります。
秀麓齋の寺号「齋」というのは全国でも珍しく、日本三齋の一つといわれ、開創は延暦十七年(798年)征夷大将軍 坂上田村麿が奥州に蝦夷平定の軍を進めるにあたり戦勝と天下泰平を祈願するため、信仰する西国清水寺の観世音をこの地に勧請したことに始まります。
御本尊 聖観世音菩薩は別名「利勝観音」と称し、坂上田村麿の蝦夷平定の際に戦勝を祈願し、そのご加護により大任を果たし得たという故事に因むものです。
延暦十七年(798年)は蝦夷の英雄「阿弖流為」との戦いの前です。
ただし、直接田村麿と阿弖流為が戦った記録はなく、802年に阿弖流為は田村麿に投降し京に連れられ斬首されています。